邂逅、みちしるべ

  • 2021-03-18
  • 2021-03-18
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上野恩賜公園の入り口に植わっている早咲きの桜を見る度に、藝大の入試を受けていた頃の自分を思い出す。

藝大の入試までの日々はある程度日々に手応えを感じたし、合格した時はその手応えに何か標を与えられたような気がして、自分にも「できるようになったこと」があるんだなと初めて思うことができた。

あれから、もう5年の歳月が過ぎようとしている。

(5年前、入試の最中に見て思わず撮った早咲きの桜)

 

実は私が高校二年生の頃、本気で音楽の道を頓挫しようと考えている時期があった。その時期にたまたま作曲の勉強を始めて、音楽に対して改めて打ち震えて、やめるという選択肢が自然に消えて今に至ってるわけだけど、こう思うと当時から今に至るまで「音楽は続けたいけど、実際に何をやりたいのかわからない」といった状態が長らく続いていたように思う。

 

…ちょっと語弊があるな。正しくいうならばやりたいことは沢山あるし、実際にやってて楽しいけど、それを末長く続けられる自信がないというか、しっくりこないというか。選択肢が広がった分、「何者になりたいのか」が全くわからなくなった。

音楽は続けたいけど、私は演奏を通じて音楽に携わりたいのか、作曲を通じて音楽と関わりたいのか、はたまた音楽を研究したいのか、何なのかわからなくなってしまった。

…どれもやりたい。けど、どれもやりたくない。全部やるには気力も体力も時間も、あまりにも足りない。現実はそんなに甘くないし、実際全部やる気概すら今はない。

そんなことに気づいたのは、ここ最近のこと。今までの数年間はそんなことに気づく暇もないくらい、あまりにも怒涛のように色々なことが押し寄せていた。コロナ禍になって、初めて立ち止まる時間ができた。この違和感に初めて気付いて、最初はその違和感の正体が分からなくて、この1年間、とにかく私は酷く気を揉んでいた。

5年前の私は、どんな大学生活になるだろうと不安と少しの希望に胸をときめかせながら、「大学生活の時間を使って、音楽と自分の関わり方を模索する。」という目標を自分の心に掲げた。
私は、やりたいことがあって藝大に来たというよりかは、寧ろやりたいことを探すために藝大に来たのだ。
だから、何かチャンスがあれば多少の無理があっても、どんなことでもやろうと心がけてきた。その甲斐あって、大学生活では沢山の経験を積むことができた。
しかしながら、当然藝大に合格をしたからといって、あるいは大学生活を過ごしているだけで出来るようになることが増えるわけではない。どんなレッテルを貼られようと、称賛されようと、批判されようと、いつだって私は昨日の私の延長なのだ。
(生徒の1人が描いてくれた絵。)
先日、ピアノのおさらい会があったのだが、直前のレッスンで明らかに曲(本番)に対して心を閉ざしている生徒がいた。

ひとまず私はどんな言葉をかけようかと悩んでから、「本番で上手くいくことよりも、取り組む前よりできることが増えたっていう事実が大事で、この数ヶ月でたくさんできるようになったことは私は間近で見て、分かっているから。だから、本番でああなっちゃったらどうしよう、間違えたら最悪、、とか思って心を閉ざしたり、音楽を敵だと思って闘おうとしちゃだめ。むしろ長い間頑張ってきたんだから、敵じゃなくてお友達だよね?あと弾いてる途中で諦めるのもだめ、それは今まで頑張ってきた自分に対する裏切りになっちゃうから」みたいな話をしたのだけど、自分で発した言葉が、自分の心を少しだけ救ってくれた。

思い返してみれば、大学に入ってからの日々…いや、もっと前?…いつからかわからないけれども、いつしか音楽に対する取り組み方は、例えば試験のための選曲で「私はここが苦手だからこの曲を頑張って勉強して克服したい」だとか、あるいは「試験映えするしまとめやすそう」「得意そう」だとか、仕事のために「できるようにならなきゃいけない」だとか、取り組みの決定打はそういう外的要因が圧倒的に大きくて、(もちろん、やりたいと思ってることは前提)いつの間にか音楽には邪な理由ばかりから関わるようになっていた。
こう思うと、意識が「音楽に対して」じゃなくて、完全に「自分に対して」になっていたのだと気づく。自分との対峙…なんていえば言葉はいいけど、むしろ「音楽との戦闘」になっていたような。
やろうとすればするほど、いつの間にか出来ないことだらけの自分しか見えなくなってしまって(実際、藝大に入ってからどんどん自己否定感に苛まれて自信を喪失していった)自分の心は絶えずひどい自己否定感に巣食われていたし、今もそれはますます強まるばかりだけど、つい先日、そんなことをきっかけにして、音楽に対して心を閉ざしているのは私自身だったということに気付いた。
そりゃ生きてるの辛くなって病むのも、逃げ出したくなるのも致し方ないよね。
ごめんね、音楽。ごめんね、私。

 

 

音楽とようやく再会できた気がする今日この頃。藝大生活の目標にしていた「音楽との関わり方」、ようやく見つけられた気がする。自分に対してじゃなくて、音楽に対して意識を向けることを大切にしていきたい。

 

そんなこんなで、心新たにベートーヴェンのピアノソナタ 30番を取り組み始めました。ついでに、ゴルトベルク変奏曲の楽譜も買った。いや〜当たり前だけど、全てが難しいよ〜…
ベートーヴェンの後期作品からは、想像を絶するような孤独を感じるけれど、それ以上の優しさと包み込んでくれるような愛情を感じる。
到底、ベートーヴェンのことを理解できるなんて、そんなおこがましいことはさらさら思えないけれども、私が音楽に対して心を閉ざしさえしなければ、ベートーヴェンは…というより音楽は温かく受け入れてくれるような、そんな気がする。
一つの作品をきっかけにして、音楽の歴史を紐解いていこうとすればするほど、音楽を通して人が紡いできた歴史に震える。

久しぶりに自分のために音楽やってるかも。

音楽は、常に心のそばに。
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