私がソルフェージュに興味を持った理由

 

 

 

私は幼い頃、年を重ねたら自然と大人になれるものだと疑わなかった。

藝大に入れたらすごい人になれる(藝大に入ってる人、すごい人ばっかりだったから)と信じていた。

 

 

けれども社会人一年目にあたる年齢を迎えた今、年を重ねたとて、その人の人生の延長線上に"今"が存在しているだけで、私が幼い頃に思っていた"大人"というものが存在しているのか、あるいは"子ども"というものが存在しているのか、今の私には分からない。

藝大に入って卒業を目前に控えた今、相変わらず周りにすごい人はいたとて、私の音楽人生の延長線上に"今の私"が存在しているだけで、小さい頃思っていた"すごい人"に今の私がなれているかといえば、全くだ。

 

いや、努力してできるようになったことは多少あれど、できないことは相変わらずできないし、それに、きっと幼い頃に思っていた「すごい人」だって、自分を発展させる為の努力を怠ればきっと退化をする(だからすごい人はすごい。)という当たり前のことに気付いたことくらいだ。

 

 

4年前の秋──大学一年生の秋、初めて人にピアノのいろはを教えることになってから今までを振り返ると、「ピアノを教えている」というよりかは「ソルフェージュを教えている」感覚の方が近かった。事実、音の読み書きやリズムについての指導に多くの時間を割いている。

それ以降、私は演奏行為とソルフェージュの境について考えるようになった。また、自身に施されてきた教育に何の疑いを持つこともなく、自身が辿ってきた教育をベースに物事を考えて良いのだろうか、とも思うようになった。個々によって取り組み方や理解の程度も違うし、何より自身も未だに数多くの問題を抱えているというのに

 

 

以降、私はソルフェージュについて「研究対象」として興味を持つようになった。具体的には、「音感と演奏行為の結びつき」と「リズム感と拍感」についての二点だ。

素晴らしい演奏には、音感とリズム感、少なくともその2点は「優れている」ことは言うまでもないが、その二つの問題を解消するにはあらゆる方面からのアプローチ(理論的な理解と耳、あるいは身体性──頭と感覚を繋げる訓練)が必須であるように感じている。

もちろん、音感とリズム感「さえ」良ければ素晴らしい演奏になる、というような簡単な話でないことは、念のためここに記しておこう。

 

この問題は、演奏行為においてあまりにも「根幹」にあたる部分である為、出来る人は出来ない人の何が出来ないのかが判らないだろうし、出来ない人はどうすれば良いのか判らない、と言った具合で、多くの音楽学習者や教育者が頭を悩ませているのではないかと推測している。

 

 

音感とリズム感について、他の分野──例えばスポーツで例えるならば、「瞬発力」や「持久力」にあたるものなのかもしれない。例えばサッカーのドリブル等といった「とある分野の具体的な技術」ではなく、「運動をする人なら誰しも共通して必要な基礎能力であると同時に、どんなレベルの人であろうと日々鍛えていく必要がある能力」なのである。

或は、西洋音楽を学ぶ者にとってのソルフェージュ能力とは、謂わば「運動神経」にあたる部分なのかもしれない。あるいは「筋力」かもしれない。能力の伸び方や筋肉のつき方は個人差があるし、一朝一夕ではどうにもならない問題なのである。最初から自然とできる人もいれば、時間をかけてもなかなかできない人もいるが、少なくとも指導法を誤れば悪い方向に進むことは確実だ。

 

 

 

この問題の研究をすることは、自身にとって非常に有益であると確信している。それは、自身の演奏においても、作曲においてもである。

同時に、そのトライアンドエラーの軌跡を人と共有することは、私と面識がある人であろうとなかろうと、誰かの助けになることがあるかもしれない。

 

しかし私は未熟、そして経験不足である故、仮説は立てることができても、主張をすることはできない。何か一つの側面を知るためには、出来る限り多くの問題あるいは功績を知り、歴史を知り、様々な立場の人の話を聞く必要があると感じている。

そのため、今後ここに残すことは、あくまで仮説であるため、もし読んでくれる人がいたとしたら、賛成の意見であろうと対立する意見であろうと、どんな意見でも様々な意見を寄せてもらいたいと切に願っている。

私一人の力で知れることは、余りにも限られたものになってしまうからだ。

 

 

重ねていうが、ここに残すことは主張ではない。あくまで、私の思考録あるいは実験録とでも言おう。

何かを発展させていく為には、各々が目的をしっかり把握すること、そして互いの違いを尊重し(排斥ではなく)、問題点を解消する方法を模索することこそするべきであると私は考える。

そのためここでは、私はあくまで問題点を挙げ、それに対するアプローチとして考えられる手段を、「目的」を明らかにした上で、分かりやすくまとめていきたい(今後の課題があればそれも記していきたい)と思っている。

 

 

このような勉強をする理由は、当たり前のように良いとされているもの、あるいは悪いとされていることが「本当にそうなのか」を自身が知るためだ。正しいものは、すべての側面において正しいはずである。

このような、ある種の哲学のような問いに私は深く興味を抱いている。それが、私がソルフェージュに興味を抱いた理由だ。

 

 

 

 

 

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