追憶──野平先生との日々 l

5年前の春、2016年4月1日、初めて藝大に登校したとき、門下の発表が行われた。

今はどうだかわからないけど、当時は藝大の入り口の掲示板に、クラスと名前が張り出されている形式だった。どこに自分の名前があるだろうかと、不安と緊張でドキドキしながら探していたのだが、野平クラスの紙に私の名前があったのを見つけた時の驚き(戸惑い、という言葉の方がより近い)と興奮は、未だに昨日のことように覚えている。しかも、私の代は私しか生徒がいなかった。

 

故、この5年間、なんとマンツーマンでレッスンの時間をとって頂いていた。

 

門下の初の顔合わせの後、それまでに自分が書いた曲の作品を持ってきてくださいと言われていたので、高校生の頃に書いた卒業作品をお見せすると、楽譜1分半ほど見たのち「うん、ラフマのチェロソナタだね。」と言われ、「これが、ご高名なるかの野平一郎か…!!」とひやっとしたことは、記憶に新しい。

Adagioの序奏まで付けてしまったし、モチーフの提示の仕方やら雰囲気やらもラフマニノフのチェロソナタをかなり参考に書いた為、今となれば誰がどう見てもラフマニノフのチェロソナタの劣化版ソナタ、なんだけど。
高校三年生の12月、卒業演奏会を終演後の写真。
気になる人は譜面のところを拡大してみてください。…今改めて見返すと、「そこはさ〜」と思うところがたくさんあるので気恥ずかしいですが。

私と、同級の室元くんと、二個下の平野くん、という貴重なショットを発見。

 

 

確か、初回のレッスンかなんかで、門下部屋の前の廊下で時間を潰していると、当時4年生だった先輩が

「一年生か、まだまだ真面目な時期だね〜」

なんてお声をかけてくださって、「?」と思っていると、先輩はそのまま

「曲書けてなくても、先生のお話聞いてるだけで勉強になるから。レッスンは行った方がいいよ。」と続けた。

 

あるいは、別の先輩はもっと過激だった。

「いいかい?野平門下の鑑っていうのはね、レッスンに行かないことなんだよ。先生お忙しいからね!」

…私の緊張を解してくれようとする心遣いからのジョークなのか、はたまた間に受けるべきなのか、その言葉の真意が分からず、ただただ「?!」という顔で笑うことしかできなかった。

 

しかし、ほどなくして先輩方が仰っていた言葉の真意を、私は知ることになる。

まず第一に、なるほど先生のお話があまりにも勉強になる。曲を書いて持っていくよりも、寧ろ曲を書かないで先生のお話を聞いたり分析をしたりしている方が為になるのでは、と錯覚をしてしまう(甘えてしまう)ほどだ。
因みに、曲を書かないで曲が書けるようになるようなドリームは、断じてない。

そして、レッスンを受ける為に部屋に入ろうとすると、野平先生は常に曲を書いてらっしゃる。あるいはピアノを弾いていらっしゃる。

思い返せば、締切の前で死にそうになられている先生のお姿を拝見したことはあっても、先生がぼーっとしてらっしゃるような姿を、5年間の間で私は一度として拝見したことがない。

 

…となると、そこまで煮詰められてもいないのにレッスンを受けようとすることに申し訳なくなってしまったり、そもそも書けてないのに先生の作業を中断させてまでレッスン(お話)をお願いするのは如何なものかとついつい躊躇してしまったりすることもある。

因みに、時として先輩のレッスンをしてらっしゃることもあったにはあったが、私がレッスンを受ける為に部屋を覗いた時に誰かがレッスンをしていると「私の前の時間帯にレッスンってあったんだ…」びっくりしてしまうほどだった。

 

そんなこんなで、大学三年生の時くらいからはなんだかんだで私も立派に伝統的な野平門下一味──レッスンに行ったり行かなかったりするような──となったのだった。

…門下生の全員が全員、そんなだったわけではないことを一応補足で記しておく。

 

門下生になって数年経った冬のとある日、レッスンに行くと先生が「生徒が来ない時用にね、最近はこの本を手元に置いているのよ」なんて仰ってた時があって、互いのすれ違いのようなものを感じたこともある。

 

レッスンをしてもらって、曲の指導を受けるのは大切だ。だが一方で、「教えてもらおうとするな、技を盗め」というのが藝の世界の常。

自分の曲のご指導をいただいた事が貴重な経験であった事はさることながら、何より先生のひたむきな音楽に対する姿勢に、また、どのように音楽を捉えていらっしゃるかという思想に、間近で触れることができた経験は、藝大生活における──いや、私の音楽人生にとってはあまりにもかけがえのない、比類なき財産となった。
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