追憶──野平先生との日々 lll

  • 2021-03-22
  • 2021-03-23
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先日の野平一郎先生ご退任記念演奏会で演奏された、リアルタイムコンピュータとピアノのための「ベートーヴェンの記憶」から、私なりに「野平一郎先生との記憶」を綴ろうと思う。笑
この作品は、ベートーヴェンが残した32曲のピアノソナタの断片を、まるでコラージュのように散りばめられた──いや、collage(切り貼り)というよりかは寧ろcompose(構成)され直した、ピアノ独奏とコンピュータのための作品である。(コンピュータによってリアルタイムで録音されたピアノのサウンドや、あるいは既に録音されていたサウンドが同時に流される。
そう、つまり、紡がれる音の全てはベートーヴェンのピアノソナタによるもので、野平先生が新しく音を加えられたわけではない。
また、曲中でいくつかのテキストが挿入されるが、そのうちのベートーヴェンが残したテキストであるハイリゲンシュタットの遺書と不滅の恋人(当然それらはソナタには残されていない言葉である)は、録音された原語での朗読と日本語訳された朗読が重なって読まれる。
写真は、私が先生に宛てた手紙の一部。
余談だが、私が外国語のテキストを用いて作品を作ろうと先生に相談をした時に「日本語と原語を同時に喋らせてしまう、とかは?」とアイディアを頂いだことがあったのだけど、それも先生のこの作品からきたアドバイスだったのかもしれない、この作品を通して初めて知った。
言うなれば、野平先生の見事な手腕によって、ベートーヴェンの作品と現代のテクノロジーが出会い、それらが「音響」という手段を使って融合をしている──野平先生は、「過去と現代を繋ぐ媒介人」、あるいは「錯乱を組織する統制者」である──作品であった。
「ブーレーズが残した"錯乱を組織しなければいけない"という言葉が頭の片隅に常にある」というお話は、先生自身よくお話をなさっているが(先日の演奏会前のプレトークの際もなさっていた)、先生の作品に触れていると、まさに先生は「統制者」としてその言葉を体現されているように感じる。
──「ハンマークラヴィーア!」「熱情になった!」「突然のテレーゼ!」「ワルトシュタインがコンピュータ効果でこんなになった…」「わー!30番だ!」「この場面での月光か、なるほど」「4番こんにちは。w」等々。
ちょうど、ベートーヴェンを勉強し直している私にとって、先日の「ベートーヴェンの記憶」との出会いは、あまりにも強烈だった。
この記事のトプ画になっている野平先生が執筆された書物・ベートーヴェンピアノソナタの探究(春秋社)にサインを頂きました。家宝です。
コンピュータがリアルタイムで奏でる、スピーカーから出てくるサウンドの遠近感もまたすごかった。音の鮮烈すぎる遠近感に接した私はすっかり音酔いをしてしまった。40分もの大作だったようだが、まるで時空の流れが歪んでいた。ディズニーランドのアトラクションに乗っているかのような、どこかに連れていかれてしまいそうな、そんな経験をした。
これは、もしかすると初めて経験かもしれない。いや、ホリガーのスカルダネッリツィクルスを聴いた時もそんな感覚だったかしら?
「音を聴く」という行為は、果たして何なのか。あるいは、「響きを捉える」とは何か。少なくとも私は、そんなことを先生から問われたように感じた。
ヴェロニク・ピュシャラ著「ブーレーズ ありのままの声で」より
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