追憶──野平先生との日々 ll

前回の記事は、あくまで先生との「日々」を綴ったが、せっかくなので、野平先生のご退官記念コンサートを聴いて思い出したレッスン時のエピソードを、実際のコンサートの曲目と絡めながら少しだけ残しておこうと思う。
文字数の都合で、今回は前半の弦楽四重奏を中心に。
演奏会の曲目。
  
 
前回の記事でも書いたとおり、私は常に期限ギリギリにならないと曲に取り組めない人間であるため、レッスンの大半は他の作曲家の作品を分析してみたり、あるいは先生の作品のレクチャーを受けたりしていたが、その際
「ある時は第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンか寄り添ったり、ある時はチェロと他の楽器が対立したり、ある時はお互いがそっぽを向いたり、寄り添ってみたり、」
なんてお話を、2年次の春にメシアンの世の終わりの四重奏曲の分析をした際にも、私が室内楽作品を提出するにあたってレッスンを受けた際にも、はたまた先生の自作のレクチャーでも(コロナ禍に入って数回目のレッスンで、弦楽四重奏第5番のレクチャーを受けたのだが、その時も)仰っていた。
先生にとっての「室内楽」に対する興味は、パートあるいは音の関係性と、音色の探究なのであろう、と、そして、先生はどのような音響世界を目指して音を紡いたのであろうか、と、奏楽堂の天井を時折眺めながら、空間を満たす弦楽器の響きを聴いていた。
2019年11月に、アルディッティカルテットによる演奏で、野平先生の弦楽四重奏第5番を聴いたのが、この曲との初めての出会い。その際もレッスンでレクチャーをしてくださった。
これは私が、一年次の提出課題として私がピアノとヴィオラの二重奏作品を書いた時の話であるが、曲の最後はヴィオラ独奏になって、音数がどんどんなくなって消えるように終わる、というような着想をし、そのことを先生にお話しすると、「弾きながら奏者が舞台上から退場してしまうとかは?」とアドバイスをいただいたことがあった。一年生で、現代作品はじめまして状態だった私にとってはあまりにも突飛すぎるご意見で、さすがにビビってしまって、結局私はそのアドバイスを採用することなく作品を仕上げたのだが、、
野平先生の弦楽四重奏第5番の最後は、奏者が一人ずつ退場して、音も存在も消えていく。(最後はヴィオラだけが残される。)
この弦楽四重奏を先生が書かれたのが2015年、私が二重奏作品を書いていたのは2016年-2017年にかけてのことである。
当初レッスンを受けていた時は、「一体どこからそんなアドバイスが…?!」と思っていたが、先生の実作品からのアイディアであったことを知り、そして、そのアイディアのモデルとなった作品が存在するのだろうと、先日の演奏会で思いを巡らせていた。
当時、その初演をお願いしたヴィオラの伴野燎くんと、ピアノの宇治澤一光くん。現在はお二人とも外国で活躍されています。元気かな〜?
「馬を水辺に連れていく事はできても、水を飲ませる事はできない。」
野平先生はまさに(少なくとも私に対しては)この言葉を体現なさっているような先生だった。
先生の見てらっしゃる景色を教えてくださるだけというか、本当に色々な入り口に連れて行って下さる──つまり、なにか出会いの糸口を与えようとしてくださるだけで、そこから先の取り組みについては、決して強要をしない先生だった。
逆に何かに私が取り組んでいる時は、道が少し逸れればそれを正す意味で口を出して下さったし、逆に行き詰まったときは新たな出会いを手助けしてくださる──例えば全然違った切り口からのアドバイスや質問をして下さっていたように思う。
最近、私は人のことを指導する機会が徐々に増えつつはあるが、その際は「人と音楽が出会えば、自発的に進めてくれるだろう」と信じて、ただただ出会いのきっかけを与えるだけの存在であるよう(逆に、「できないこと」でその人の「出会い」の機会が減ることにならないように、やった方がいいと感じる事は積極的に手助けをしようと)心がけている。
ひょっとすると、その考え方は野平先生と過ごす時間の中で自然と培われた感覚かもしれない。
…野平先生は意識しないと気づくことすらできないくらいさりげなく、多大なる影響を私に与えて下さった先生だと思います。
本当に本当に、素敵な先生でした。
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